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「東大合格生のノートは必ず美しい」って本に感動しました。買わなかったけど。
その事実だけで十分です。キレイにする方法を知りたいわけじゃないから。
実利を重視する結果で、必然的にノートもキレイになるんだろうな。
「なんのための」っていう目的がハッキリしてるんだろうね。

正直自分、ノートを活用するって発想はなかったわ・・・。
一般的に、それがノートの代表的な利用法ですけどねwww
自分は、ノートは書き潰すものって感覚で、いかに勢い良く使い捨てるか、みたいなフシがありますからね。
ちょっと考え直してみるわ。

あと本の中で感動したのが、東大生の受験前の勉強時間が10h/1日ってのが普通なことでした。



 


notewronguse.png
「ノートの使い方」で、なんかコレ思い出した。
(10年前くらいに書いたノートの使用に関する注意) 

多彩なノートの使い方がある内で、私が書き潰し型の使用法だとしても、何も特異なことではないということの証明です。



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(前回から続いてる)

この逃避力を糧にしてどこかへ進んでいけないかと思うくらいですよ。
この考えは・・・ありかもしれない。
いわゆる負荷をかけてやる気を出させるというのと同じか。いや、 やる気を照射させる方向が違う。
敢えてやりにくい仕事を与えておいて、実は目的は一番目のタスク以外の進行っていう。
逃避の力で能力向上・・・。
悪くないかもしれないけど、逸脱させる方向のコントロールが難しそうw
コントロールする方向がわかってるくらいなら、はじめから第一タスクに入れておけばいいだけだし。
でも「やらなきゃ」という責務感の中と、強制されてない遊びの領域であるのは、かなり違うことですね。
仕事と趣味の関係もコレですね。
趣味が仕事になった途端楽しくなくなる、とか。
そうそう、これの応用的な使い方として、逃避としての位置に勉強(的なもの)を置くという方法も編み出したw
「ここまで勉強したら、本を読んでいい」とか。結局どっちも目的な訳だけど、ご褒美位置に置くことでより嬉しみが増すマジック。
じゃあ勉強を逃避の位置に置いてみては?
第一タスクをニコ動とかにしておいて。

・・・・ニコ動を1日中見て終るだろ・・・JK・・・。
さ、リスクコントロール勉強するか・・・ (´・ω・)


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上手く騙せれば、子供の教育とかにも使えると思うんですよ?



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入院完了。まだ術後しばらくは鼻閉感は続くそうです。

やっぱり入院中の勉強効率はすごく良かった。
あの効率でずっとできれば、おそらくなにも心配ないのにな(TーT)
帰りにまた本を複数冊買う。
本屋に居れば居るほど購入冊数が増えるのでどうしたものでしょう。
本を読むのは、すごくいいことなんだけども、物理的に部屋に物が増えていくのと、出費の関係でちょっと迷うとこですね。
それでも自己投資しろって、どの本にも書いてあるけどね。
最近気になるのは、本読みのクオリティを上げたい、ってとこです。
読む時間を早く、なおかつ脳内に有効な埋蔵ができる、というのが目標。
まだまだ模索段階。
いろんなハックを試してみたい年頃です。
というか、ハックを開拓するのはいいけど、先に勉強してからにしろよ^^
スキルを入れてから勉強するには、もう遅いから^^^^


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guiterstrings.pngACIDMANの曲聴いてて、やっぱりかっこいーなぁ、と。
ちょっとこのコードを鳴らしてみたい衝動がムラムラと沸いてきたのでギターさんを引っ張ってみた。
さっそく弦が切れやがりました。

張替え中→
ゲージは大きめが好きです。ファットサウンド・アイ・ラブ。

元々キチンと弾けないんですけど、すごいぞ!ほんとに弾けなくなってるぞ\(^O^)/
指もすぐ痛くなるし。
ちょっと練習しようかなー・・・って、勉強をしろよ!><
逃避力強すぎる・・・。




ACIDMANのWorld symphony、イントロかこよすぎる・・・。
あとはFREAK OUT, 風、冴ゆる, Type-A, あたりが好きです。
どれも打撃系の曲ですね。
わかりやすいw

でもACIDMANはどの曲もレベル高い。 



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実は明日、明後日と一泊二日で鼻粘膜をレーザーで焼くという手術をするので、手術申し込み系の書類に記入してたのですが、
自分の文体が妙に貫禄のあるオッサン風情で笑う。「~して頂きたい」とか「~と思われる」とかwww
60歳くらいですよ、これw
医者に対して同等か、それ以上の身分を顕示してる風ですよww
事実をマークして伝達するだけの内容だから、別に相手を慮るような丁寧な口調である必要は、むしろ余分だと思うんだけど、実際どう書くのが適切なのか・・・。
身分相応、なおかつ公的に使える簡明な文体って、どれですか。
日本語って難しい。

「~して頂きたいです」に変えたww尊大さが少し減ったw


文章を書くのは難しいです。頭使います。
構文的なオカシさを直すうちに、何を主張したかったのか分からなくなってきます。
でも文章を作ることで脳が活性化するってんなら少し頑張ろう、ってことでこのブログですが?
アインシュタインはほぼ毎日手紙を書いてた換算らしいです。ダーウィンは1.5日に一通。
このブログ、アインシュタイン何回出るんだよww

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もう自分にとっては日常である鼻炎とか鼻詰まり、レーザーで日帰りで簡単に治療できる時世らしいから受診したけど、その病院は1日入院が必要なんでした。
いいんだけどね。入院。
ちなみに近場の医院から巡り巡って、けっきょく去年顔マヒで入院したのと同じ病院に辿り付いた。

優雅に読書して過ごしたいとこだけど、勉強の選択肢しか与えずにいきます。
合宿か・・・?
といっても1日だけだからなー。3日くらい入りたい。

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なんか強そうだからw

[神は死んだのか]

以下、当り前ながらに全部個人的な仮説。

私は死んだと思わない。
信じれば存在すると思ってる。
科学と神は相反するものなのか。
人間が分子で出来た有機機械で、宇宙や、人間の心を含むすべての事象を観測して、時間を掛け合わせて、全ての規定を説明できる機械仕掛けの神・Deus ex machinaが誕生したとしても、
旧式の神はまだ存在すると思う。

外部的な存在かはわからない。
多分に内部的な気もする。
かといって外部に存在してないわけでもない。
偏在するといっていいかもしれない。
唯一、とかいう数的なものではないと思う。なにしろ、存在したりしなかったりする。もちろん人格でもない。
多神教・一神教、偶像崇拝、自然崇拝いずれであっても中の神は変わらないと思う。
質的な存在と言えるかも。

思考と相対して存在する、ということになるが、
生物発生以前はどうなるのか。
宇宙に、方向性を決める意思はあるのか、という話にもなる。

もし、人間の思考以前に意思があったとしたら、
「神が人間を作った」説は正しくなる。
別の言い方で、意思はすでにあったが、人間と呼べる肉体はなかった、とか。

しかし、すべての世界、すべての時間は既にすべて存在する、
因果関係を覆すパラレルワールドの解釈も捨てきれない。
地球など発生せず、すでに終った宇宙が存在してることも考えると、意思があるともいえない。
「この世界」が在るのは、結果論で、この世界があるから、でしかないとか。
「この世界」が在るのは、むしろそこに観測者という一点があるから、でしかないとか。
つまり、神が存在するのは、そこを観測する私が存在するから。なんという自意識過剰w
それでも「私」がいる限り神は存在してることになる。

意思が在るところに世界が存在する、
それ以外のところには存在しない。

観測者と結果の関係の、シュレディンガーの猫も思い出すけど、
量子力学はこれから勉強したい分野で、さっぱり知りません。

ちなみに上の一説(観測者がいるから世界が存在~)だと、観測者の数だけ世界が存在することにもなりうる。
ロマン志向としては、こっちを推したいですね。
人ひとりの世界は常に閉じていてるわけだから。
他人と思考を共有することはないし、一つの意思で二つの肉体を持ってることもないし、たまに他人になったりもしないですから。
この世にあるのは、夥しい数の主観だけで、その他の世界など存在しない。
一人一人まったく別の世界を観測してるかもしれない、とかロマンチックではないですか。
これ言うと、「もしかしたら他の人(もの)は存在してないかもしれない」説も出てくるけどね。
それもまたロマンチックだわな。
ついでに、例えばロボットなんかで、ひとつのブレーンをいくつもの固体で共有してたとしても、それはそれで閉じた認識なので、結局どこまで繋いだとしても閉じた世界は終らないのかもしれないな。

世界は意思ではないかもしれない。
神が存在しない世界もあるだろう。
でもここには存在すると思う。


私の好きな作家、ミヒャエル・エンデ師匠の
「空想を信じることでファンタージェンは存続する」
という物語の一説は、今も心に留まっている。


なんか10代の頃から中身の進歩してなさに一人、残念なかんじにもなりました。orz

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尚、意思の話で思い出しましたけど、人の思念は空間を隔てて作用することがあるそうです。
離れた場所からも祈ることで、人の病気を治癒する効果があるとのこと。
前職のDr,がこの実験の話を皆に教えてくれたんですが、詳しくは、ラリー・ドッシー著の本を見るといいかと思います。私も読みたいです(まだ読んでない)。
にしても、凄いよね。念じて、自分の体に作用させるなら大いに分かるけど、離れた場所に作用させる、ってのは。超常的の範囲だけども、アメリカの実験結果というと、なんだか信じざるをえないw

だから良くなることを祈るとか、意思を持つというのは大事なことなんですね。
逆に否定的なこと、悲観的なことを想うというのも怖いことだってことですね。
祈ることは有効だってことは、けっこう人に伝えたい。



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