[神は死んだのか]
以下、当り前ながらに全部個人的な仮説。
私は死んだと思わない。
信じれば存在すると思ってる。
科学と神は相反するものなのか。
人間が分子で出来た有機機械で、宇宙や、人間の心を含むすべての事象を観測して、時間を掛け合わせて、全ての規定を説明できる機械仕掛けの神・Deus ex machinaが誕生したとしても、
旧式の神はまだ存在すると思う。
外部的な存在かはわからない。
多分に内部的な気もする。
かといって外部に存在してないわけでもない。
偏在するといっていいかもしれない。
唯一、とかいう数的なものではないと思う。なにしろ、存在したりしなかったりする。もちろん人格でもない。
多神教・一神教、偶像崇拝、自然崇拝いずれであっても中の神は変わらないと思う。
質的な存在と言えるかも。
思考と相対して存在する、ということになるが、
生物発生以前はどうなるのか。
宇宙に、方向性を決める意思はあるのか、という話にもなる。
もし、人間の思考以前に意思があったとしたら、
「神が人間を作った」説は正しくなる。
別の言い方で、意思はすでにあったが、人間と呼べる肉体はなかった、とか。
しかし、すべての世界、すべての時間は既にすべて存在する、
因果関係を覆すパラレルワールドの解釈も捨てきれない。
地球など発生せず、すでに終った宇宙が存在してることも考えると、意思があるともいえない。
「この世界」が在るのは、結果論で、この世界があるから、でしかないとか。
「この世界」が在るのは、むしろそこに観測者という一点があるから、でしかないとか。
つまり、神が存在するのは、そこを観測する私が存在するから。なんという自意識過剰w
それでも「私」がいる限り神は存在してることになる。
意思が在るところに世界が存在する、
それ以外のところには存在しない。
観測者と結果の関係の、シュレディンガーの猫も思い出すけど、
量子力学はこれから勉強したい分野で、さっぱり知りません。
ちなみに上の一説(観測者がいるから世界が存在~)だと、観測者の数だけ世界が存在することにもなりうる。
ロマン志向としては、こっちを推したいですね。
人ひとりの世界は常に閉じていてるわけだから。
他人と思考を共有することはないし、一つの意思で二つの肉体を持ってることもないし、たまに他人になったりもしないですから。
この世にあるのは、夥しい数の主観だけで、その他の世界など存在しない。
一人一人まったく別の世界を観測してるかもしれない、とかロマンチックではないですか。
これ言うと、「もしかしたら他の人(もの)は存在してないかもしれない」説も出てくるけどね。
それもまたロマンチックだわな。
ついでに、例えばロボットなんかで、ひとつのブレーンをいくつもの固体で共有してたとしても、それはそれで閉じた認識なので、結局どこまで繋いだとしても閉じた世界は終らないのかもしれないな。
世界は意思ではないかもしれない。
神が存在しない世界もあるだろう。
でもここには存在すると思う。
私の好きな作家、ミヒャエル・エンデ師匠の
「空想を信じることでファンタージェンは存続する」
という物語の一説は、今も心に留まっている。
なんか10代の頃から中身の進歩してなさに一人、残念なかんじにもなりました。orz
-----
尚、意思の話で思い出しましたけど、人の思念は空間を隔てて作用することがあるそうです。
離れた場所からも祈ることで、人の病気を治癒する効果があるとのこと。
前職のDr,がこの実験の話を皆に教えてくれたんですが、詳しくは、ラリー・ドッシー著の本を見るといいかと思います。私も読みたいです(まだ読んでない)。
にしても、凄いよね。念じて、自分の体に作用させるなら大いに分かるけど、離れた場所に作用させる、ってのは。超常的の範囲だけども、アメリカの実験結果というと、なんだか信じざるをえないw
だから良くなることを祈るとか、意思を持つというのは大事なことなんですね。
逆に否定的なこと、悲観的なことを想うというのも怖いことだってことですね。
祈ることは有効だってことは、けっこう人に伝えたい。