忍者ブログ
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

なんか強そうだからw

[神は死んだのか]

以下、当り前ながらに全部個人的な仮説。

私は死んだと思わない。
信じれば存在すると思ってる。
科学と神は相反するものなのか。
人間が分子で出来た有機機械で、宇宙や、人間の心を含むすべての事象を観測して、時間を掛け合わせて、全ての規定を説明できる機械仕掛けの神・Deus ex machinaが誕生したとしても、
旧式の神はまだ存在すると思う。

外部的な存在かはわからない。
多分に内部的な気もする。
かといって外部に存在してないわけでもない。
偏在するといっていいかもしれない。
唯一、とかいう数的なものではないと思う。なにしろ、存在したりしなかったりする。もちろん人格でもない。
多神教・一神教、偶像崇拝、自然崇拝いずれであっても中の神は変わらないと思う。
質的な存在と言えるかも。

思考と相対して存在する、ということになるが、
生物発生以前はどうなるのか。
宇宙に、方向性を決める意思はあるのか、という話にもなる。

もし、人間の思考以前に意思があったとしたら、
「神が人間を作った」説は正しくなる。
別の言い方で、意思はすでにあったが、人間と呼べる肉体はなかった、とか。

しかし、すべての世界、すべての時間は既にすべて存在する、
因果関係を覆すパラレルワールドの解釈も捨てきれない。
地球など発生せず、すでに終った宇宙が存在してることも考えると、意思があるともいえない。
「この世界」が在るのは、結果論で、この世界があるから、でしかないとか。
「この世界」が在るのは、むしろそこに観測者という一点があるから、でしかないとか。
つまり、神が存在するのは、そこを観測する私が存在するから。なんという自意識過剰w
それでも「私」がいる限り神は存在してることになる。

意思が在るところに世界が存在する、
それ以外のところには存在しない。

観測者と結果の関係の、シュレディンガーの猫も思い出すけど、
量子力学はこれから勉強したい分野で、さっぱり知りません。

ちなみに上の一説(観測者がいるから世界が存在~)だと、観測者の数だけ世界が存在することにもなりうる。
ロマン志向としては、こっちを推したいですね。
人ひとりの世界は常に閉じていてるわけだから。
他人と思考を共有することはないし、一つの意思で二つの肉体を持ってることもないし、たまに他人になったりもしないですから。
この世にあるのは、夥しい数の主観だけで、その他の世界など存在しない。
一人一人まったく別の世界を観測してるかもしれない、とかロマンチックではないですか。
これ言うと、「もしかしたら他の人(もの)は存在してないかもしれない」説も出てくるけどね。
それもまたロマンチックだわな。
ついでに、例えばロボットなんかで、ひとつのブレーンをいくつもの固体で共有してたとしても、それはそれで閉じた認識なので、結局どこまで繋いだとしても閉じた世界は終らないのかもしれないな。

世界は意思ではないかもしれない。
神が存在しない世界もあるだろう。
でもここには存在すると思う。


私の好きな作家、ミヒャエル・エンデ師匠の
「空想を信じることでファンタージェンは存続する」
という物語の一説は、今も心に留まっている。


なんか10代の頃から中身の進歩してなさに一人、残念なかんじにもなりました。orz

-----

尚、意思の話で思い出しましたけど、人の思念は空間を隔てて作用することがあるそうです。
離れた場所からも祈ることで、人の病気を治癒する効果があるとのこと。
前職のDr,がこの実験の話を皆に教えてくれたんですが、詳しくは、ラリー・ドッシー著の本を見るといいかと思います。私も読みたいです(まだ読んでない)。
にしても、凄いよね。念じて、自分の体に作用させるなら大いに分かるけど、離れた場所に作用させる、ってのは。超常的の範囲だけども、アメリカの実験結果というと、なんだか信じざるをえないw

だから良くなることを祈るとか、意思を持つというのは大事なことなんですね。
逆に否定的なこと、悲観的なことを想うというのも怖いことだってことですね。
祈ることは有効だってことは、けっこう人に伝えたい。



拍手

PR
note.jpg勉強しようとしたけど、Dragon Ashに逸れた瞬間の記録。



やっぱかっけーー>∀<
Fantasistaは必殺曲b

有無をいわさずアガルでしょ。
音楽に持ってかれるのは幸せだ。


しかし音楽にノリながら勉強は無理め。
やってても全然頭に入らない。
ああ、でも音楽ははずせない。


なにか集中力を上げるスイッチを増設したいとこです。
「これをすれば自分は集中できる」っていう、自己暗示なんだけど。
ロケーションもけっこうスイッチたり得るんだけど、ガストで勉強しはじめると、比類なく眠くなるのはなんでだろうか。


>
そしてBGMがTHE MAD CAPSULE MARKETSへシフト。余計うるさいw

このPVが大好きだ
飛行機から宇宙に行く辺り、もう。そのエンジンの熱に焼かれて死にたい。(死ぬなよ)
こういう進化系テーマに逐一弱いよ。


最高><




拍手

母をたずねて三千里の話は、ルーベンスに憧れて画家を目指す少年が犬を連れて、母を捜しながらフランス中を12.000kmも練り歩いた挙句、教会で天に召される話だと思っていました。
母にも会えず、画家にもなれず死んでしまうとはこの作家、どこまで子供に厳しくすれば気がすむのかと思ってました。
あと、フランス中を12.000kmなんて、一体フランスを何周する気か、と思ってました。


ちがった。

よく考えたら、フランダースの犬と混ざってる。

しかもどっちもフランスなんかじゃない。

元のアニメをよく知らず、イメージを断片的に繋いでるからこうなったんですね。



拍手

読んでる絵の本に右脳と左脳の機能差について書いてあった。

右脳と左脳は別々に視覚を認識してるらしいです。
右脳と左脳を繋ぐ脳梁を摘出した人の実験で、右と左で視界を区切って違う正解を与えると、右手と左手で別の回答を出すそうです。
右は言語的な答えは出せないから、物理的な答えってことになるそうですが。
逆に左は、物理的な答えは難しいというから、量的には同等なんですね。
人間は二つの知覚を統合して、一人分の行動をしているみたいです。
よくある天使と悪魔の脳内会話の図はこの辺から来てるんだろう。
直感上の答えと、理屈上の答えと。
その際どっちが悪とか善とかはないんだけど、善悪差がある場合は「良い考えと悪い考えが同時に・・・」ってーことになるんでしょう。

普通は左右で視界が変わってることとか、まして脳梁がないとかいうことはないので、行動が二種類になることもなく、脳内会議で「どうするんだ」ってなるだけで終るんですね。
 

あと、直感というと、根拠のない神のお告げ的なものと感じがちだけど、
「言語化はできないけど」右脳なりの映像的な根拠があっての答えであって、それなりの根拠がちゃんとある、らしい。
ときに恐ろしく先を読むことがあるらしいけど。
カオス理論搭載してるんでしょうか。
だとしたら、凄すぎる。

面白いなー。右と左。


あと、これまた信憑性の疑わしいネタではあるけど、
両手を組んだ時、腕を組んだ時に上に来る方が優位な脳、とかありますね。
逆でやるとすごく気持ち悪いやつ。
ちなみに私はどっちも左が上でした。ちなみに手も足も右利きですが。
雑巾絞りの時は、右回りで、けっこう他の人と逆なことが多いです。他の人が絞ったタオルなんかを絞るとき気づく。縦に絞るときは左手が上。
利き目も左でした。
(利き目の調べ方は、両目で見ながらある一点に人差し指を合わせる。次に片目ずつ見て指がポイントからブレない方が利き目)

これらで優位脳を知れるのかは、アヤシイところです。
そもそも優位脳とかあるのか。
が、左利きの人には無闇に憧れます。レオナルド・ダヴィンチ、アインシュタイン、ピカソ、モーツァルト、等天才が多いですし。
絵を上手く描きたい自分としては右脳優位な方が羨ましいし。
あと一つには、マイノリティであることもw
左利きがマジョリティだったら、きっと右利きに憧れてますw

利き手と脳の働きは関係あるんですかね。
だったらずっと右手を使ってる私は、もっと言語力が強くても良さそうなものだが・・・。


なんで首以下で交差してるのかも謎だ。ミステリアスだからかな(演出かww)
これも諸説あるみたいですが。
あ、ちなみに視神経も交差してるらしいです。
景色とか目に焼き付けたいときは左目で見た方がいいんだろうかw


まぁ、右脳左脳でそこまで明確に役割が分かれているわけでもないようなんだけど。

とりあえず、アインシュタインが「知識は図書館に行けば手に入るから、心は空にしておけ」って言ってたのは、きっと無意識には所蔵しておくことが前提なんだと思った。
 



拍手

咳をしても一人


無学な自分は今日知りましたが、尾崎放哉という人の俳句・・・だそうで・・・
ちょ・・・
俳句になってないんだけど
ただの独り言じゃないんですか;
リズムもなにもなし。声にだして詠むといっそうただの独り言です。


墓のうらに廻る


ああ、そう・・・
・・・そうですか・・・


アカデミーの世界も奥が深いです。
つかフリーダムすぎて笑った。

-----

血液型別性格分類って、根拠の無いものと言われてますけど、人気は根強いですよね。
ただちょっと過信のきらいがあるんじゃないかと思います。

血液中の成分に性格を決めるものはない、過去に研究を行った人はいるが有効な結果は得られなかった、等、科学的な証明はない状態。
あー、当たってる^^とか、往々にしてよくあるし、
O型の本が血液型全種類の中で売れ行きがいいと、血液型によって行動の違いがあるといえるんではないかと思ったりしましたけど、
ある類型と言われることによって、好むと好まざるに関わらずそれを意識してしまうってことは、少なからずあると思うのですよな。
その型にはまろうとする、あるいは反発しようとするとか、あるいは別に気にしないけど知っている、っていうだけでもなんらかの影響は出てきてしまう筈なので
ある程度既に操作されてしまっていて、純粋な性格がわからない。
血液型別性格分類の浸透してない国とかで、統計とって相関をみるといいかもしれないですね。
影響を受けてないキレイな土壌でw

今まで自分も、なんとなく合ってる、余興として楽しい、とかでもてはやしてたけども、
ちゃんとした根拠がない、なによりもそうした分類化という偏見によって、不愉快を感じる、それどころか被害を被る人がいる、ってことに最近ようやく気づいたので、そこら辺を心得ておく。
同じように性格の分類でも、体型が筋骨型の人は粘着質、痩せ型の人は分裂気質、肥満型の人は躁鬱気質、とかに、よっぽど不愉快な偏見を生みそうなクレッチマーの分類は危険ではないのは、偏に、人々にもてはやされてないからですね。


ただ、都市伝説とか言い伝えとかって、火の無いところに煙は立たぬ、だそうで、そもそも言われ始めたきっかけはなんだったのか、とはちょっと気になる。



拍手

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
ブログ内検索
---


ブログランキング・にほんブログ村へ
リンク
プロフィール
HN:
LN
カウンター
アクセス解析
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]