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とあるものごとについて嫌悪感が募っていくんだけれど、
そういう「嫌悪感」とか、感情的なものを交えて論じるべきではないとは思ってる。


感情を抑えた上、正当を主張するって本当に難しいです。
「大人」になりたいな。なれるのかな。たしか10代から思ってるはずだけど・・・;
どのくらいの人間が大人になれるのか・・・。
多くの先達を仰ぎつつ参ることに致します。

---
(感情論について)
怒りや悲しみが無価値とは言えないんだけど、
それらの感情で語られる主張は、半分くらいしか聞くべきでない。
というのも感情というのは、ごく個人的なものであり、主観的なものだから。
感情が強いほど正しいわけではない。

例えば、私も人並かたぶんそれ以上に怒りとか嘆きとかを強く抱えてると思うのだけど、
それを自分の思うままに主張して、尚且つ聞き入れてもらったとしても、
それは私の我侭に他人を従わせることでしかない。
それは正しさじゃない。


これが、大多数に一致する感情だったとしても同じことで、
即、大多数=だから正しい とは言えない。
ここら辺はちょっと感情論とはズレて集団心理の話かもだが、

大勢が同じことを言ってるからきっと正しい、という無闇な信頼は危うい。
確かに、時間を掛けて、多くの人に、フィルタリングされた結果としての常識、モラルは、洗練されて理に適ったものであることが多い。
多いけども、必ずではない。通念がいつも正しいわけではないし、中には悪習というものもある。
日本というコミュニティの中では常識であっても、世界では常識ではない、等。
数さえいれば勝ち、というルールも、一面、真実ではあっても、正義と同義ではない。

それから、多数に属していると、埋没してその人自身の理屈が見えなかったりも。
周りの色に合わせているとか、迎合しているように見える。
「私が言い出したんじゃない」「常識だから」と他人の言葉に責任転嫁もしてしまえる。という隙がある。自分の言葉を自分で背負っていない。

感情論に戻します。
モラルとか常識とかでバックアップされてるらしきことでも、
本来は妥協なくきちんと自分の頭で同じ答えを導き出してから主張するべきだ。
-感情に拠らない正しさを-自分の中ででいいから、一度でいいから、しっかりと証明していないといけない。なにをもって悪いのか。自分の主張は正しいのか。でないとただの好きだ嫌いだの感情論に落ちてしまう。


私は、正しさは感情を超えたところで求めるべきだと思う。
正しさは、ポジションを外してフラットな目線で色眼鏡を外して判断するものだと思う。
正義の怒りとか、ないと思う。
それは正義ではない。ただの怒りだ。主観的な正義なんてない。
正義は熱くも冷たくもない、温度のないものだと思う。


というふうに、自分は正しくなりたいわけで、
主張の場面では感情を廃していけたらなぁ、と思うのですが。
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